緋色の電球

タカハシカイト

遅い朝

目覚ましのアラームを止める。誰にもわかられることのない悲しみだけがおれを救っている、そう思いたいだけのただみっともないだけの欲望。それが形を変えて満たされた記憶が夢だったと気付きながら起きるとき、ちょっとした絶望感と怠惰がないまぜになって、もうこれ以上進んだって望んでいたものは得られないような気がする。気の迷い。スヌーズが鳴って、それを止める。ぬるい寝床から出て朝食を食べなければ。でもそしたらおれはどの自分を正気と呼べばいいんだろうか。時々わからなくなる(本当はわかっている)。ぬるい寝床から出て朝食を食べなければ。身体が動かないのは動く気がないからだ。心臓を握る悲しさだけがとくとくとロスタイムを刻み続けている。その蘇生でおれは脈拍を打ち続けるのかもしれない。スヌーズはもう鳴らない。

つんどけ! たかはしさん

おれのiPhoneには積ん読リストがある。大学に入って物忘れ防止のためリマインダーアプリを使い始めたのが勝手がよく、ToDoリストに加えて積ん読リストを作成した次第である。そこには図書館を彷徨っているうちに見つけた、惹かれる・または読みたいと思った本のタイトルと著者名が列挙されている。

ところで思い返してみると図書館という場所で本を借りる習慣がついてからもう少なくとも10年にはなる。それだけの年月を重ねていればなんとなく自分の傾向も掴めてくるもので、

「一度に3冊以上借りない(3冊目を読む頃には興味が薄れているか疲れているから)」

「出来るだけ作家をバラつかせる(好きでもさすがに飽きるので)」

「そのとき読みたい本・読まねばならぬ本を優先する(モチベが読書意欲に大きく影響するので)」

「借りたのに読めなかった本はすぐに借り直さない(読めなかった時点で現状読もうとする気がないので)」

等の"俺ルール"が存在する。ルールといっても往々にしてそれらはほかでもないおれによって破られ、おれによって罰則が免除されるのでどちらかというと傾向をまとめた取扱説明書みたいなものに近い。ひとり独裁制。実際先日も3冊借りたがそのうち2冊しか読み終わらず、その間追加で別に2冊借りてそちらは両方読み終わるという奇々怪々な読書生活っぷり。文系大学生という実感が湧いてくる瞬間である。

 

そんなこんなで俺ルールに則ってあれを借りこれを返しそれをリストに入れ読んだら消し、とやっているわけだが最近致命的ともいえる問題点が露呈しつつある。なぜかいくら本を読んでも積ん読リストが減らないのである。

なぜか、と書いておきながらもよくよく考えてみれば道理なのだが「そのとき読みたい本・読まねばならぬ本を優先する」という実感に基づいた縛りを課している時点で積ん読とはいわば"2軍"入りした本の集積となる。そこに入ってしまった時点で、「面白そうだけど今読まなくていいや」という判定が下されているわけだ。1軍は常に順番待ちであるだけでなく、自分の興味が広がればそこに割り込むものも現れるし、新刊が入ればまたさらに列は長くなるし、どんどんと生え抜きの有望な新人がその席に座っては読まれていく。そもそも本棚の前でなにを読もうか延々と唸る行為が好きな人間なので、機械的にリストを上から潰していくというのはあくまでどうしても読みたい本がないときの最終手段でしかないのだ。そして怠惰な種類の人類にとって「今読まなくていいや」は「一生読まなくていいや」とほぼ同義である場合が多い。本当に。さきほど2軍と形容したが、その実はそれ以下どころか戦力外通告に等しい。京都人も裸足で逃げ出すメタメッセージ。

そうして今日も積ん読リストはリマインドさせるだけさせて興味を惹かれた本たちにベンチを温めさせておくのであった。今あるリストが全部捌けるのはどれほど先になるだろうか。ていうかこんなことを書いている場合ではない、さっさと次を読まねばならぬ。読みたい本は山ほどあるのだから────

 

そう言うとおれはiPhoneを投げ出し、自室の薄明かりの下で再び読書に勤しみ出すのであった。

秋の下書き大放出祭

2022/8/21

うちに泊まった友達を最寄り駅で見送った。おれはおれにしかなれないけどこれがおれなんだ、と思いながらSuiseiNoboaZのTHE RIDERを聴く。窓の外から、しとしと降る雨の音がきこえる。

 

大事にしたいことが誰にでもあって、譲れないことが誰にでもあって、毎日朝は濁流のように眠気をさらっていくのでそのことをだんだん覚えていられなくなってしまう。取り繕うことでしか大人になれない。そしてそれは必ず、完璧な精度で、完璧ではない。程度の差こそあれ、その点に関しては平等なのかもしれない。

 

夏の終わりにいて、故郷の冬が恋しい。文字には不思議なちからがあって、思い出は書き起こすとなんだか許せてしまいそうになるけど決してそんなことはないのだ、と言い聞かせておれはおれが全く別の人間へと作り変わるまでの作業を少しずつ先に延ばそうとしている。

 

 

 

2022/10/02

訂正がある。おれのこれまでの人生すべてをまばたきの一瞬間ごとに、鼓動の一拍ごとに分解していけば、きっとそいつは無数に出てくる。友達、家族、先輩、後輩、恋人、恋人になれなかったひと、名前を思い出せない誰か、名前のない関係だった誰か。その一人ひとりに対して突き詰めていけば、きっとそこには訂正がある。上手く言えなくて誤魔化したり、勘違いを指摘するのが野暮で言わなかったり。でもそれの大部分はもう覆せない。理由はさまざまで、おれが覚えていないから、あるいはあなたが思い出せないから、もしくは訂正があることを伝えられもしないから。

 

ねえあのときどうしていたかな。あのとき、って言ったらきみはいつを思い出すのかな。どんなふうに、どんな顔して生きていたかな、お互い。ささやかで切実なヒントを見逃して、ゲームが終わったというのにまだおれは打席に立って、まだひとつも白球を飛ばせないままダイヤモンドをなぞろうとしている。野球のルールも知らなかった頃からしたら、随分立派になったもんかもしれない。それでもひとつも知っていることがないまま、きみを知ったような気分になるから、せめて今までなにも知らずに歩いてきた顔をしている。なにが繋いでいたんだろう?  そんな真面目な話もできないまま、いつが最後だったかも思い出せずに。それからもさらにずっと遠くまで来た。

 

階段の飛び方、という曲が書けた。いつか届けたいと思った。

 

 

2022/10/10

文章にも消費期限がある。いろいろな意味でそう思う。それは多分思考も移り変わっていくことと同義なのだろう。

 

もう書かないとか思っていたけど、そんなに頑なになることもないのだと最近は思う。恐縮だけであっという間に人生が終わってしまう。生き急げるうちに生き急いでおきたい。急かされたいわけではない、くれぐれも。

 

これはただの自画自賛、もはやひとりマッチポンプだが、緋色の電球ってネーミング結構良い。冴えてたけどバカだった、愛すべき日々の度し難いわたし。もう、ふたたびお目にかかりません。

Break and Sure

いつか、昔から知る人間が変わっていくさまを見ていられるのは幸福なことだと書いた。それは正しかった。但しその幸福が、どれほど彼らに対する失望と、自分に対する失望を抱かせるかということに気づいていなかった。

おれは本当にどうしようもない人間で、それは自覚して他人に表明したからといって図々しくも赦されるとかいった類のものではもはやなく、でもせめてその蟻地獄から這いずってでも抜け出そうという気持ちだけでも持っておかなければ今度こそ、これからもずっとただただおかしく歪で生温い絶望に呑まれてしまうだろうと確信していた。それをいつまでも誤魔化している。過去を隠したり、ただ遮ったりして、それでは何の解決にもならず、変わったことの証左にもならない。年齢を重ねれば勝手に色々なことができるようになると思っていた。それは思うだけで考えているという行為とはまったくの別物であった。だからおれは先に足を動かさなければいけないのだ、たとえ目的地が定まらないままでも、行くべき方向から遠ざかる一歩だとしても、もう甘ったれて突っ立っているだけでは何処にも行けないのだ。

 

新しくバンドを始めることになった。おれは他人とやることにも賭けるし、その上で自分ひとりでやれることもやる。あなたを思い描くために振り返るのではなく、引き返すのでもなく。

Short short goodbye for(ever).

以前に旧友たちのドライブに同伴させてもらった時のことだ。帰る道すがら、運転席の彼が「引っ越す前にまた会えたら会おう」というような旨を言ってくれた。それが心の底からの言葉であるかそれともその場の雰囲気から出る常套句じみた友人への言葉であったのかを確かめる術はないが(確かめようという気にもならないが)、この時ばかりは素直に嬉しく思った。しかしわたしは性根が少しばかり捻くれているくせしてその所為で起こる人間関係の摩擦を避けたい小心者であるがために、内心そんな機会は来ないのではないかと思いつつも「会えたらいいね」などと生半可な返事をした。それからしばらく経って未だに、不思議な感傷を伴ってこのやりとりが思い出される。

 

「さよなら」でも「またね」でも、そういう別れの挨拶というのは、もしかしたらこの世で最も贅沢な言葉のひとつではないかと思う。そこからしばらく、あるいはずっと別々に過ごすことになる互いが、進む未来で相手の不在を理解しながらもなお、互いを結ぶ楔として最後の場面を飾る言葉。わたしはそれが、自分で使う分にはひどく気恥ずかしいものであることを感じると同時に、とても美しいと思う。刹那的だけれども、ひょっとするとその刹那を永遠かけて幾度となく思い出すかもしれない。

 

そんなことを思うのはここから先を生きていって誰とどれだけ同じ時を過ごせるだろう、とか考えてしまうようになったからかもしれない。終わらないのではないかとぼんやり考えていた生活は数年周期で入れ替わり、熱を入れたものごとやひとも時々忘れてから時々思い出してになって、次第に時々すら忘れる。それはわたしも彼らも誰も彼もが否応なく進んでいるから正常である、そんなのはわかっていて、それでも有りもしない記憶はたまに夢に出てくる。起き抜けに毛布に包まれたわたしだけが、青になった横断歩道の前でただただ突っ立っているような、切ない錯覚に囚われる。

 

暫時あるいは二度と会うことはないのだろうという確かな予感がするとき、大抵の場合において最後の機会はもう疾うに過ぎ去っている。無力なわたしたちは最新の思い出を海馬から探し出して額縁に入れ、いつまでも飾っておきたくなる衝動に駆られる。でもそれは単なるひとつの象徴だ。ジグソーパズルでいうところの偶然最後に残ったピースであるというだけで、だから完成したその絵をこそ飾るべきだ。そういうことを知っていながら、そのラストピースを大事にしてしまうからこその人間らしさだとも思うけれど。

 

だからなんとなく、家族というのはなによりもさよならが言いたい相手とつくるものなのだろうかと思ったのだ。どんな最新を最後にしても大丈夫だと、ある意味いつでも最後にする覚悟ができている関係なのではないかな、と先日漠然と思い至った。単純に好きだということとはやはり少し違うものだと思うし、また好きも嫌いも超えてその人に関しては清濁併せ呑むといったようなところがある。というか、わたしがそう思ってしまう。

 

つまるところドラマチックになりきれないわたしたちは「会えたらいいね」がラストシーンでも構わないのだ。どうせまた会える、とたかをくくって、そんな日が最後だったということなんてわたしが覚えている以上に存在する。これからだって増えていく。だから生き方を改めようなどと安っぽい決意を掲げるつもりは毛頭ない。さよならと告げて行くことはきっと余り有るほど贅沢な幸せだ。だからこそ、音をたてずにひっそり過ぎ去った数多の別れの瞬間を愛おしく思うし、それこそがまともな挨拶すらできなかったわたしとあなたを繋ぐ透明な楔であるのだろう。その瞬間から出発したそれぞれの足跡が辿り着いた砂漠の最果てで、互いが同じ雨に傘をさしていた情景を思い出せたとしたら、それ自体が虹のような僥倖だと思う。

免許皆伝の巻

過日、わたしは免許センターなる地に降り立った。1ヶ月に及ぶ自動車学校での奮闘の末、ようやく魔王の巣窟へと向かうお墨付きをもらったのである。免許を手にできるか否かという文字通りのラストバトル。結果から言えば魔王は倒れ、わたしは晴れて公道に繰り出す権利を手にした。まったくもって嬉しい限りだ。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、右も左も分からず右往左往し、エンストを繰り返した日々を思い返すとなかなか感慨深い。出来たばかりの免許証を手にしてほくほくで帰宅したのであった。

 

ところで知っていただろうか。世の中には車はオートマチック車とマニュアル車の2種類あるらしい。わたしがそれを認識したのは中学生の時分であった。オートマの免許を取るつもりだと話す他の男子同級生たちを女々しいと一蹴し、「男ならばマニュアル」だと言って譲らなかったY君の熱弁を横で聞き、車に興味らしき興味がなかったわたしは「ほう、そういうものなのだな」と素直に一般常識の類としてインプットして4年余。今思い返せば彼の主張は日本の東京人口一極集中よろしくえげつなく偏向していたが、それすら気付いていなかった2ヶ月前のわたしは自動車学校入校の際にまんまとマニュアルを選択してしまった。これがまた難しく、単純にペダルが多くてしかも操作ミスするとエンスト=一旦停止するという、逆に何故あるのかと存在意義を問いたくなるシロモノであった。あとから聞けば既に日本の9割以上の車がオートマであるそうな。オイ。なんで誰も言ってくれないんだ。そういうことは早く言え。結果、あむぴの恋人であるこの国にマニュアル免許取得者がまたひとり爆誕したのであった。カーチェイスに巻き込まれたついでに爆破される日も近い。

 

劇場版 名探偵コナン ゼロの執行人

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  • 発売日: 2020/04/18
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 一応、マニュアル車オートマ車も運転できるそうだが、自分でマニュアル車を購入でもしない限り、やはりほぼそのような機会はないらしい。このステータスが役立つ日は来るのだろうか。或いはこんな風に役立つかもしれない。

 

 

「クソ、奴ら何故この隠れ家が分かった!?」

「そんなこといいから脱出するわよ!  全員ガレージの車に乗って!」

「……ッ、畜生!  この車、クラッチがついてやがる!」

「なんだって、今時マニュアル車なんてモンがまだ残ってたのかよッ」

クラッチの扱いなんて知らねえよ、これじゃ車を出せねぇ……」

 

 

「おいおい、おれを忘れて貰っちゃ困るね」

「「「タカハシ!」」」

「とっとと運転席を空けな!  奴らに追いつかれる前に出るぞ!」

「お前ってヤツは最高だ!」

「しっかり掴まれよ、行くぞォ!」

ブロロロロロロロロ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガタン‼︎‼︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エンストこわい。