緋色の電球

タカハシカイト

秋の下書き大放出祭

2022/8/21

うちに泊まった友達を最寄り駅で見送った。おれはおれにしかなれないけどこれがおれなんだ、と思いながらSuiseiNoboaZのTHE RIDERを聴く。窓の外から、しとしと降る雨の音がきこえる。

 

大事にしたいことが誰にでもあって、譲れないことが誰にでもあって、毎日朝は濁流のように眠気をさらっていくのでそのことをだんだん覚えていられなくなってしまう。取り繕うことでしか大人になれない。そしてそれは必ず、完璧な精度で、完璧ではない。程度の差こそあれ、その点に関しては平等なのかもしれない。

 

夏の終わりにいて、故郷の冬が恋しい。文字には不思議なちからがあって、思い出は書き起こすとなんだか許せてしまいそうになるけど決してそんなことはないのだ、と言い聞かせておれはおれが全く別の人間へと作り変わるまでの作業を少しずつ先に延ばそうとしている。

 

 

 

2022/10/02

訂正がある。おれのこれまでの人生すべてをまばたきの一瞬間ごとに、鼓動の一拍ごとに分解していけば、きっとそいつは無数に出てくる。友達、家族、先輩、後輩、恋人、恋人になれなかったひと、名前を思い出せない誰か、名前のない関係だった誰か。その一人ひとりに対して突き詰めていけば、きっとそこには訂正がある。上手く言えなくて誤魔化したり、勘違いを指摘するのが野暮で言わなかったり。でもそれの大部分はもう覆せない。理由はさまざまで、おれが覚えていないから、あるいはあなたが思い出せないから、もしくは訂正があることを伝えられもしないから。

 

ねえあのときどうしていたかな。あのとき、って言ったらきみはいつを思い出すのかな。どんなふうに、どんな顔して生きていたかな、お互い。ささやかで切実なヒントを見逃して、ゲームが終わったというのにまだおれは打席に立って、まだひとつも白球を飛ばせないままダイヤモンドをなぞろうとしている。野球のルールも知らなかった頃からしたら、随分立派になったもんかもしれない。それでもひとつも知っていることがないまま、きみを知ったような気分になるから、せめて今までなにも知らずに歩いてきた顔をしている。なにが繋いでいたんだろう?  そんな真面目な話もできないまま、いつが最後だったかも思い出せずに。それからもさらにずっと遠くまで来た。

 

階段の飛び方、という曲が書けた。いつか届けたいと思った。

 

 

2022/10/10

文章にも消費期限がある。いろいろな意味でそう思う。それは多分思考も移り変わっていくことと同義なのだろう。

 

もう書かないとか思っていたけど、そんなに頑なになることもないのだと最近は思う。恐縮だけであっという間に人生が終わってしまう。生き急げるうちに生き急いでおきたい。急かされたいわけではない、くれぐれも。

 

これはただの自画自賛、もはやひとりマッチポンプだが、緋色の電球ってネーミング結構良い。冴えてたけどバカだった、愛すべき日々の度し難いわたし。もう、ふたたびお目にかかりません。